『悪人』(3作目):人は誰もが悪人になる得るものか

芥川賞作家・吉田修一の最高傑作を、李相日監督が渾身の映画化。主演の深津絵里がモントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞、作品も2010年度キネマ旬報ベストテン第1位に選ばれた傑作。ひとつの殺人事件。殺した男と愛した女。引き裂かれた家族。さまざまな視点から事件の真相が明らかになるにつれ、観る者に「いったい誰が本当の“悪人”なのか」を問う。悪意にまみれたこの現代で、ひとは何にすがって生きれば良いのか。人間の善悪を深くえぐる演出と豪華キャストによる究極のヒューマンドラマ。

そこまで面白いと思わなかった。

サイトで出会ったばかりの男と簡単に逃亡をするものだろうか。

そこに違和感を感じた。しかも殺人犯だ。

殺人を犯した経緯に関しては同情の余地はあるかもしれない。

この違和感を拭うには二人の歴史の深さが必要だ。

映画で伝えたかったことはきっとこうだ。

法を犯したものだけが悪人とは限らない。

法を犯していなくても人は悪人になり得る。

それは日々の生活の中で潜んでいる。

この映画における悪人の定義は広い。

人の心を傷つける人も悪人と呼ぶ。

言いたいことは分かるが、

先の違和感があり腑に落ちない。

仮に理解したとしよう。

そうすると僕も悪人だ。

自分を守るために、人を傷付けることはある。

暴力ではない。言葉や行動によるものだ。

同じように傷付けられることもある。

そうすると世の中の人は全員悪人だ。

なんだか簡単片付けられてしまった気持ちになり

やはり僕は腑に落ちない。

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