【書評・要約】バカの壁|究極の形がテロリスト!

何を言っても「伝わらない」「話が通じない」ようなことを目の当たりにすることはありませんか?事前に理論武装したとしても、最初から話をまともに聞こうとしない。徒労に終わる説明…そしてあなた自身も気づかないうちに他者からそう思われているかもしれません。

日常、上司との関係に悩む人、夫婦間の関係で悩む人、親子間の関係で悩む人…様々な人間関係で悩む人に読んでもらえると「あっ、そう言うことね、わかる、わかる!」と思える本です。そして共感するだけでなく、あなた自身も「バカの壁」に蝕まれているということにも気付き、今日から行動を変えようと思える本です。

バカの壁」は「訊く」ことで乗り越えられる。これは他人事ではなく、誰にでも当てはまる話です。知らず知らずのうちに、あなた自身も「バカの壁」を作っていると思ってください。人間関係を円滑にするには、人の気持ちを想像し、「訊く」ことに意識を集中することが大事であるとわかるでしょう。

著者のプロフィール

1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得た。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数

本の概要

知りたくないことに耳をかさない人間に話が通じないということは、日常でよく目にすることです。これをそのまま広げていった先に、戦争、テロ、民族間・宗教間の紛争があります。これを脳の面から説明している。脳への入力、出力という面からです。イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人は、なぜ互いに話が通じないのか。そこにバカの壁が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方がわかってくる。

「バカの壁」とはバカな人と賢い人を分ける壁のことである。学歴、IQは関係ない。

そして養老氏の教え子である東大生にも「バカ」がたくさんいたという。バカの壁を生み出す決定的要因とは「自分の知らない世界を知ろうとするかどうか」である。積極的に知ろうとしないのがバカである。知らない世界でも理解しようと頑張るのが賢いのだ。誰しもがいつバカの壁に閉じ込められてしまうか分からない。人生でぶつかる諸問題について「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。

バカの特徴

この本の重要なポイントとして、バカの特徴は三つある。

  • わかった気になりがち
    なんとなく聞いたことがあるレベルを完全に分かったと思いがち。例えば妊娠から出産までのドキュメンタリーを教え子の東大生に見せる。女子学生と男子学生で反応が異なる。女子学生は新しい発見や気づきがあり、とても勉強になったとポジティブな意見を言う。一方で男子学生は保健体育で習ったことだから、なんの勉強にもならないとネガティブな意見を言う。大きく異なる特徴は女子はもっと詳細に知る必要がある、一方で男子はある程度の知識でわかった気になったことだ。これこそ男子学生の中にバカの壁が聳え立つ。女子学生は今後、自分に関係することであるため、もっと知らなければならないという積極性が生まれた。妊娠を経験することのない男子学生は無関係のものとして詳細まで知ろうとしない。
    知りたくない、知る必要がない情報は完全に遮断してしまう。遮断された脳は活発に機能することはない。詳細に知ろうとせず、情報を遮断してわかった気になる。これこそがバカの壁。どれだけわかりやすく説明しようとしてもわかってもらえない本質的な原因である。「自分には関係ない」と思った瞬間にバカの壁が聳え立つのだ。目の前の出来事が自分にとってどう関係あるかを結びつける力が重要なのだ。現場ではどんな音がして、どんな匂いがして、どんな空気が流れているのか、そこまで詳細にイメージする想像力、自分と結びつける力。それがとても重要である。
  • 個性を大事にしがち
    今や猫も杓子も「個性を伸ばす時代」です。学校教育の現場でも、個性、独創性、オリジナリティを尊重する風潮がある。養老氏曰く、「共通了解のこの時代に、個性、個性と唱えることは矛盾している」という。「共通了解」とは、世間の誰もがわかるための共通の手段のこと。インターネットが普及し、誰もがすぐに情報を共有できるようになったのに、なぜわざわざ個性を追求しようとするのか。会社は「共通了解の集まり場所」です。この会社で個性を発揮したらどうなるのでしょうか?命令系統が崩れ、組織が機能しなくなり、崩壊へと向かう。
    あたかも自分らしく生きる、独創性を正義のように扱われている現代社会において、養老氏は「個性を伸ばせ」は嘘だと言う。個性は言い方を変えると、人と違う部分。極端にいうと、皆が楽しく笑っている時に急に泣き出したり、しんみりしたお葬式で大爆笑する、そんなことである。例えば白い壁に排泄で絵を描くような個性的な人がいたとしても、それで成功者になった人は1人てしていない。理解不能な行動も人と違う部分、いわゆる「個性」である。世間的に成功しているような人が持つ個性は、ただの個性ではなくみんなが理解できる個性である。みんなが理解できて、みんなが喜ぶものに限るという注釈がつくものである。もはや個性であるかも疑わしい物である。個性を伸ばすだけでは勝てないのが世の中。個性はめちゃくちゃ曖昧な物であると言う。我々人間の脳や意識は日々微妙に変化しており、その人らしさが変わってしまうものに頼るのは合理的でない。そんなことよりも人の気持ちを想像することこそが大事なのだ。逆に個性は曖昧でぐいぐい伸ばすと世間から迷惑がられる。
    成功者になる、お金を稼ぎたいのであれば、人の気持ちを想像する、お客さんの気持ちになりきる。よく分からない個性を最優先にしている奴がバカなのであるバカの壁を打ち破るのは人の気持ちを想像する力である。そんな個性を伸ばす教育より、親や友達など相手の気持ちを理解するという教えが、まともな教育ではないかと述べています。
  • 正解が一つだと思いがち
    唯一無二の答えは学校のテストくらい。みんなが納得する一つだけの大正解があると思うのはバカだと言う。例えば教え子の東大生に2種類の頭蓋骨についてどんな違いがあるか聞いた。「こっちの頭蓋骨の方が大きいです。」と東大生は答えた。養老氏はバカの壁を感じた。そんなことは目で見れば誰でもわかること。その東大生は用意された唯一無二の正解があると信じて、その正解を当てにいった。バカの壁を越えられていたら、この東大生も唯一無二の正解にこだわらなかっただろう。右側は女性の骨で、左側は男性の骨、なぜならば●●だから、と答えられたと思う。
    ここまでの話はかわいい話だが、正解が一つだと信じ込んでしまうと、もっと悲惨な事態を引き起こす原因になる。例えばテロリストは典型例。彼らの特徴は、唯一の正解を自分たちだけが持っていると信じ込んでいることである。自分たちが正解で他の人たちは間違っている原理主義、狭いバカの壁に閉じこもってしまっているからこそ残虐なことができてしまうのである。著者曰く、「現代世界の3分の2が一元論者だということに注意しなければならない」という。これはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教のことです。宗教もそうですが、原理主義も同じく、一元論です。原理主義が破たんするのは、歴史が物語っています。このことに気づくべきだと言う。一元論は壁の内側が世界だと認識し、外側は無視してしまう。これもバカの壁をつくる根本原因です。人の脳は基本的にナマケモノにできており、一元論の方が楽で、思考停止状態の方が気持ちいいと思ってしまいます。この一元論こそ、乗り越えるべき壁なのです。
    バカの壁とは、「現代人がいかに考えないままに、この周囲の壁をつくっている」というものでした。この周囲に壁をつくることで、居心地のいい世界を創ろうとしているのです。しかし、この壁こそが進化する人間の敵であり、壊すべき壁なのです。知識や経験を増やし、相手の立場になり、物事を見ていく。常に生成発展していく進化の波に乗ることが、人間としての役割なのです。この世界にはいくつもの正解、いくつもの正義があることを知らないバカになってしまうと、自分が損するだけでなく、多くの人を傷つける。確実な正解ではなく、仮説を立てる力、外れても良いから発信する勇気、外してもすぐ引き返すフットワークが必要である。

気づき

確かに職場や周囲にわかった気になっている人は多いと思う。厄介なのは、信念を貫くことに美学を感じている人がいることだ。つまり頑固者だ。自己の意見にこだわるあまり、意見を譲らないし、わかった気になり話を聞かない。
私は比較的に人の意見を訊くタイプだが、他者からは私自身の意見がないと、頑固者からしばしば指摘される。確かに目的を果たすことができれば、ディテールにはこだわらない。ディテールにまでこだわると物事が進まないことが多々にあるからだ。やはり目的を果たせるならば、ディテールに関しては妥協することはやむを得ないと私は考える。そして他者の意見を訊くというプロセスを踏むことで、他者のアイディアを引き出し、組織がまとまり、目的への最短距離にもなる。
養老氏の言う個性は少々、極論の気がする。そして医学的な要素が強い。我々が日常で考える個性で良いと思う。一方で個性の強い集団が必ずしも強い組織になるとは限らないのも確かだ。スポーツでもより強い選手を集めたチームが強いとは限らない。強くなるにはそれを率いる指導者の存在が重要である。個性が強かろうと、弱かろうと、それを率いる指導者次第で結果は変わる。そう言った意味では、個性が強いからといって必ずしも成功するとは限らないと主張する養老氏の考えにも一理ある。
また自分の考えが正解とは限らないことに肝に置き行動してきた。ただそれは自信のなさの表れとも捉えられる。あるいは評論家にも見える。そういったネガティブ意見を頑固者から指摘をよく受ける。ポジティブに捉えれば客観視できる力を備えているとも言える。私自身、客観視できる力が優れている要素だと30代までは思っていた。しかし今は、それが優れている要素になっていないことも事実だ。つまりはバランスが重要だということだ。客観視できる力とブレない軸。このバランスを維持することこそ、バカの壁を乗り越えることができるのだと思う。

まとめ

バカの壁とは、「現代人がいかに考えないままに、この周囲の壁をつくっている」というものでした。この周囲に壁をつくることで、居心地のいい世界を創ろうとしているのです。しかし、この壁こそが進化する人間の敵であり、壊すべき壁なのです。知識や経験を増やし、相手の立場になり、物事を見ていく。常に生成発展していく進化の波に乗ることが、人間としての役割なのです。

  

  

 

 

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